その少年は不幸であった。
一つ目の不幸は物心着く頃に両親を事故で亡くしたこと。
二つ目の不幸は引き取られたのが施設であること。その施設は虐待などもなく、ひもじい思いもしない。ただ、時々施設から引き取られたという言葉だけを残してこどもがいなくなることがあるだけだ。
そして三つめはある男に目をつけられたことである。その男は施設を支援し、慈善事業家として有名であり、世界的にも有名な財団の総帥をやっている。一見よくできた人間にも見える男だが、彼が施設で目を付けたこどもたちはことごとく“引き取られている”。男に目を付けられてからしばらく、少年は誰かによって“引き取られて”いった。
施設の他のこどもにとってみれば、また一人“引き取られた”ということだけだ。しかし引き取られた本人の話はそこで終わらない。少年の不幸はまだ続く。四つ目、五つ目、六つ目とそれから先も少年に不幸な出来事は立て続けに襲い掛かった。
その中で少年にとって幸いといえるものがあった。それは死ぬことがなかったこと。少年と同じような境遇にあるこどもたちは不幸の過程でその多くが命を落とした。死ぬことがなかったというのは幸いだろう。地獄が続く、という意味では不幸なのかもしれない。
それでも、いま、少年は幸せだった。
日常の中で死にそうになることはいまとなっては普通になっている。仲良くなった者を殺さなければならないこともあった。仲良くなった者を助けることなく無力を感じることもあった。それでもいまでは大切なものがあり、そのことに幸せを感じていた。
「お疲れさま。どうだった?」
「どうもこうもない。横島、殺されたいか?」
「そ、それはやめて!」
不幸な少年の名前は横島忠夫。引き取られてから十年以上が過ぎ、彼は十七の頃まで成長していた。
「紅麗ってグラサン似合わないなー。ほれ、新しい仮面」
横島に相対する青年は忌々しそうにサングラスを外すと、仮面を受け取って微妙な表情になる。それもそのはずで、その仮面はなぜか縁日で飾られているようなひょっとこ顔のお面だった。紅麗と呼ばれた青年はとりあえずその仮面を床にたたきつけた。
「それより、木蓮と小金井が例の少女を連れてきたらしい。お前相手をしておけ。俺は……用意をしておくべきものがある」
「用意? まあ、いいけど。爺の話でいいの?」
「ああ。ただし、丁重に扱え。一応客人……だからな」
「りょーかい」
紅麗は、話は終わったとばかりに懐からいつもの仮面をつけると、部屋を出ていくのであった。横島はやれやれと肩を竦めると下にたたきつけられたひょっとこの仮面についたほこりを丁寧に払って机の上に置く。
「お嬢ちゃん、目が覚めた?」
「え、誰ですか……あなた?」
横島と紅麗がいた部屋から遠く離れた部屋で、目が覚めた少女に声をかける。少女は突然あらわれた横島に警戒している様子で部屋の隅に小さくなって震えていた。
「うわー、そこまで怯えられちゃうとさすがに傷つくよ。まあ、とりあえず何がなにやらわからないだろうから知りたいのなら着いてきて。このままここにいたら風邪ひいちゃうかもしれないし。あー、でも……逃げようだなんて思わないでね? ここからは絶対に逃げられないから」
怯えられたことに苦笑するが、そのままその部屋から出ていく。少女は終始笑顔の横島に戸惑うと同時に、少し警戒心が薄れる。このままここにいても何もわからないため、震える身体を抑えつけ、横島のあとを着いていく。
着いたのは先ほど紅麗と話していた大きな部屋。大きなソファにシャンデリア、壁に飾られた額縁には横島を引き取ったあの男の写真がでかでかと飾られている。
「うわー、ずいぶん警戒されちゃったなー。とりあえずオレンジジュースでも飲んで一度落ち着く?」
「わたしはこどもじゃありません!」
「あり、オレンジジュース嫌いだった? 小金井は喜ぶんだけどなー。んー、じゃあまずは悪かった」
ぷりぷりとかわいらしく怒る少女に気まずそうに頬をかき、知り合いの少年がオレンジジュースにはしゃぐ姿を思い浮かべて首をかしげ、そして頭を下げた。
「へ? 別にこども扱いされたくらいで頭を下げてほしいなんて思いません!」
「いや、そうじゃなくてここに連れてくるときのこと。本当は誰も傷つけるなって命令されていたはずなんだけど一人バカがいてさ。とりあえず怪我した女の人は助かったらしいから安心してよ」
「立迫先生の奥さんが……よかった。あの、聞いてもいいですか?」
「ああ、このお額縁? この屋敷の持ち主。ニュースとかでみたことない? 森光蘭っていう名前なんだけど、実業家でさ、この顔でいろいろ慈善活動しているんだよね。まあ、一代で巨万の富を築くなんていくら実業家だっていっても無理だからね。慈善家としての顔には裏の顔もあるってわけだ。君を連れてこいっていうのもこのおっさんの命令」
「なんでわたしなんか……」
「この動画、わかる?」
彫刻の目から光が壁に向かって放たれる。光は動画となってある光景を映し出した。
どうやら彫刻はプロジェクターの役割も持っているようだ。横島には彫刻をプロジェクターにする意味はさっぱりだったが、見た目の割に機能が充実しているため、借りてきた映画は何かとこの彫刻型プロジェクターでみていたりする。
彫刻型プロジェクターによって映し出された光景は少女が少年を治療している姿だった。少女は少年の患部に手を当てるだけで手元が輝き、少年の傷は癒えていった。本来の治療では絶対にありえないまさしくファンタジーな光景であった。
「どうして……これ」
「君たちが騒ぎを起こしたあの遊園地、系列がウチなんだ。監視カメラの映像に残っていたよ。こどもじゃないんだから我慢すればいいのにさー。欲しいものは全部手に入れようとするんだ、あのおっさん。でも一生に手に入れられるものは限られているだろ? 最終的に何を求めたと思う?」
「わからないです」
「不老不死。バカでしょ? そんなファンタジーなことがあるわけないのにさ。でも、見つかった。見つかっちゃったんだよね。不老不死の手がかり。それがこれね」
リピート再生されている治癒の映像を指さして言う。
「お嬢ちゃんのその力。不老不死のヒントになる、そう思って君を誘拐したんだ。まあ、これからたいへんだけど諦めてよ」
「そんなこと知りません! わたしはそんなことのために!」
「はいはい、興奮しない。とりあえずいまはゆっくり休みなよ」
「え、ああ……?」
頭の上にポン、手を置かれた少女はそのまま意識を失う。横島はとりあえず少女を抱きかかえ、密かにその感触を味わいながらもソファに寝かすのだった。
「小金井、そこにいるだろ?」
「あり、バレてた? それより俺はオレンジジュースで喜ぶようなこどもじゃないからね!!」
ひょいっと扉の裏から顔を出したのは小学生くらいのこどもだった。髪の毛を逆立てた小柄な少年は、先ほどの光景を見ていたのか少女の飲まなかったオレンジジュースをチラチラ物欲しそうにみながら怒って言った
「はいはい。とりあえずこの子、連れてきたおっさんとは違う部屋に運んどいてくれよ。本当は紅麗の仕事なのになんで俺だけ……」
「えー、やだよ。木蓮と一緒にこのお姉ちゃん攫ってきて疲れているんだもん。それより紅麗はー?」
「あいつはあいつで何か準備があるんだと。俺はこれから磁生に呼ばれているからあまり時間かけられないんだよね。そんなチラチラ見なくてもあとでジュースなら奢ってやるからさ」
「100%ジュースだからね!」
「へいへい。あ、ちゃんと風邪をひかないように暖房設備がある部屋に運べよ? 何もない部屋はあのおっさんでいいや」
「忠夫兄ちゃん、相変わらずだね。じゃあ、あとは俺がやっておくから行って来なよ」
「じゃあ、よろしくー」
「で、磁生は何の用なんだよ。俺、これでもいろいろやることがあるんだけど……」
「お前がやることなんてどうせいつものくだらないことだろ。いいから飲みに付き合えよ」
小金井にあとを頼み、やって来たのは居酒屋。顔なじみの店員にあいさつをしたり、かわいい女の子に声をかけたり、かなりの時間をかけながら奥のほうの個室へ進む。
待っていたのは大柄なおっさんだった。ビール片手に横島を出迎えた磁生という男は、年齢こそ離れていても、友人のような関係である。
「俺はいつでも好き勝手できるおっさんとは違うんだよ!」
「だからお前も麗に入れよ。いつまでもその立場のままじゃお金も足りねーだろ。ちなみに今日は割り勘な」
皿に盛られたタコワサビを口に運んでいた横島の箸がピタッと止まる。
友人関係にある二人だが、その立場は大きく異なる。横島と磁生は同じ、森光蘭を首領とする組織に所属している。その仕事は森の欲望を満たすために多岐にわたる。
森は欲望を満たすために横島と同じように多くのこどもを引き取っているのだが、その中でも紅麗は正式に養子として引き取られており、その立場は森に次ぐ。磁生はこの紅麗直属の部下であり、組織の中でもかなり上の立場にあるのだ。対して横島はいまでも森に引き取られたこどもAのまま。立場的には下の下である。それでも紅麗や磁生と対等に口を利いているあたり、もかなり特殊ともいえるが。
「お金が足りないってわかっているのならなんで今日割り勘なんだよ! 俺は呼ばれた立場だし、それくらい払ってくれよ!」
「じゃあ忠夫も紅麗様の部下になれ! お前なら音遠も雷覇も文句言わないだろうよ。いきなり十神衆は無理にしてもせめて麗に所属してはみねーか?」
「いまでも紅麗に扱き使われているのに部下なんぞになったら俺は過労で倒れるかもしれん! 絶対嫌だ!」
断固として拒否の姿勢を貫く横島。割り勘とわかり、財布を取りだして中身を確認してからは遠慮なく食べることにしたようで、磁生の誘いには拒否の姿勢を貫きながらももぐもぐと磁生の頼んだつまみをバクバクと食べている。
結局横島と磁生はこの日、ここで一晩過ごすことになるのだった。
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